RAPT | 〈ゼロ・グラビティ〉人生に目的意識を。
ゼロ・グラビティ 目的意識
ゼロ・グラビティ 目的意識 ジョージ・クルーニー サンドラ・ブロック
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〈ゼロ・グラビティ〉人生に目的意識を。

〈ゼロ・グラビティ〉人生に目的意識を。

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今日、「ゼロ・グラビティ」という映画を観ました。
 

評判通り、物凄い映画でしたし、今までにない面白い映画でした。
 

どんなところが面白いかというと、先ず登場人物がたった二人しかいないことが挙げられます。ハリウッドの大作映画というと、大掛かりで壮大なものというイメージが強く、登場人物も豪華で、エキストラも沢山使うものというイメージも強いです。ところが、この大作映画にはサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーの二人の役者しか登場しないのです。(厳密に言うと、何人かの死人が画面に出てきますが、ただ死んでいるだけで何の演技もしていないので、登場人物とは言えないでしょう。)
 
しかし、登場人物が二人きりでありながらも、広大な宇宙を背景にストーリーが進んでいくために、大掛かりで壮大な映画であるという印象は強く持ちました。その反面、どこか密室的な感じ漂う映画だな、という印象も持ちました。宇宙は広いけれども、酸素もなければ重力もないので、とても不自由で思い通りに体を動かすことができず、絶えず窒息のようなものが漂いつづけるのです。
 
そんな過酷な宇宙空間の中で、次から次へと危機的な状況が訪れ、ジョージ・クルーニーは物語の冒頭から宇宙空間に放り出されて死んでしまいます。一人取り残されたサンドラ・ブロックは、宇宙にはまだ不慣れなために、一人で生き延びるのは熾烈を極めます。しかし、彼女はそんな過酷な試練を次から次へと乗り越え、最終的には無事に地上に降り立つことができるのです。
 
ストーリーそのものはとても単純ですし、映画の中で進行する時間も恐らく一日にも満たないような短い時間なのですが、そこにはまさに人生の縮図のようなものが描かれていると感じました。
 
人生を生きていく上で、我々の上には幾度となく過酷な試練が訪れてくるものですし、我々はそれを乗り越えながら生きていかなければなりません。そして、過酷な試練に見舞われれば見舞われるほど、人は知恵を絞らなければなりません。年収が400万とか500万あれば、いちいち何をどう節約すればいいのか考える必要がありませんが、年収が200万とか100万とかになってくると、お金の使い道をいつも真剣に考えなければいけないのと同じ事です。そして、さらに知恵のある人は、どんなにお金が僅かだったとしても、その中でどうすれば豊かに暮らせるかを考えることでしょう。
 
今ではかつてのバブル期のようにただ何も考えずにお金のために黙々働いていればいいという時代はとっくの終焉を迎えてしまいました。これからもそのような時代がしばらく続くでしょう。したがって、お金よりももっと価値のあるものを見付け、それを得るために生きていかなければ、なかなか生き甲斐をもって生きていくのは難しいのではないでしょうか。
 
私はこの「ゼロ・グラビティ」を観ながら、そんなことをふと強く感じました。もしそれができなければ、人は生きること自体が嫌になり、失意や絶望の中で生きていくしかないからです。人生に何らかの目的意識を持ち、その目的に向かって努力していく生き方。そのような生き方ができる人こそ、真に幸せな人ではないでしょうか。
 
最近の若者の多くが、人生の目標や夢を持たずに生きている、と言われています。それはとても悲しいことです。失敗を恐れずに常に何らかの目的に向かって努力しながら生きることこそが幸せに生きる秘訣です。それだけが全てではないでしょうが、それを失ったら、やはり人生は何の面白みもありません。そういうことを我々大人が若い世代の人たちに語っていかなければならないと私は思うのですが、その大人たち自身、夢も希望も失ってしまっている部分もなきにしもあらずなのでしょう。

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