RAPT | RAPT有料記事158(2017年3月27日)心の中から全ての悪の根を断ち切ってこそ、人生が祝福に包まれる。
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RAPT有料記事158(2017年3月27日)心の中から全ての悪の根を断ち切ってこそ、人生が祝福に包まれる。

RAPT有料記事158(2017年3月27日)心の中から全ての悪の根を断ち切ってこそ、人生が祝福に包まれる。


 
今回の有料記事も、朝のお祈り会で伝えた御言葉の音声をそのままアップしています。
 
今回は、人間の心の中にある罪について、神様が詳しく話をして下さいました。
 
この世の人々は既にイルミナティの悪なる情報に洗脳されて、すっかり心の中が悪に染まりきっています。
 
悪を行えることが自由で幸せであると洗脳され、悪を禁じられることが束縛であり、不幸であると思い込まされています。
 
しかし、現実は全くその逆です。
 
確かにこの悪の世界で、自分だけ義を行って生きていくということはとても大変な生き方ではありますが、それでも義を行って受けられる祝福はとても大きなものです。
 
それは、この有料記事を長く読んできた方なら、誰でもはっきりと分かることでしょう。
 
しかし、この世の多くの人々は悪なる世界に魅力を感じ、悪を行って生きることが幸せだとか、格好いいと思い込んで生きています。
 
傍目から見ればただの頭の悪い人にしか見えないのですが、それすら彼らは気付きません。
 
今回の御言葉は、そのようなサタンの恐ろしい洗脳から解かれ、真に甲斐ある生き方をするためにも、全人類が知るべき御言葉だと言えます。
 
また今回は、神様がアブラハムに対して息子のイサクを殺して捧げるようにと命じた聖書のシーンについて、神様がその意味を深く掘り下げて解説して下さいました。(もちろん、実際には殺させはしませんでしたが。)
 
人によってはこの聖句を読んで、神様はなんと非人道的で、悪魔的な存在だろうかと言って、神様の悪口を言ったりします。
 
しかし、神様がアブラハムにそのような命令をした背景には、とても深い神様の心情が隠されていたのです。
 
特にもう既に子供を産んで育てている人たちは、その子供を立派な義人に育てたいと思っているはずですが、ではどうすれば自分の子供をそのようにきちんと育てることができるのか。
 
今回の御言葉を通してはっきりと理解することができるでしょう。
 
とにかく、親が自分の子供を立派な義人に育てることはとても難しいものです。
 
実の親だからこそ、ついつい犯してしまいがちな過ちがそこには潜んでいるからです。
 
もちろん、今回の御言葉は子供を持っていない人たちにとっても、とても重要な御言葉です。
 
この御言葉をきちんと実践するかどうかで、その人の運命が大きく左右されてしまうからです。
 

 
なお、我々に対して様々な妨害工作がありましたので、今しばらくの間、有料記事のパスワードは銀行振込のみで販売する形を取らせていただきます。
 
パスワードのご購入は以下のリンクからお願いいたします。
 
朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入
 
どうぞよろしくお願いいたします。

5 Comments
  • 真の知識を欲するもの
    Posted at 22:19h, 27 3月

    本日も次元の高い御言葉ありがとうございます。
    霊界のことを詳しく掘り下げて話してくださりありがとうございます。
    今まで罪の悔い改めで具体的に罪の行為を告白していて2、3時間はかかっていました。
    でも「これって正しいのかな?」と思い始め今日の御言葉を聞いて「罪を繰り返さないこと」
    「罪を清めること」、「罪の根を1ミリでも残さないこと」が大事だと分かりました。
    (もっと確信を持ちたいのでもう一度聞きます笑)
    とても基本中の基本で「神様以外に1ミリでも未練を持たないこと」。
    これが出来ておらず悩み不安が募っていました。まだまだ、まだまだ愛が足りなかったのですね。
    RAPTさんと兄弟姉妹の皆さんに聖霊が豊かに降り注ぎますように。
    兄弟姉妹の皆さんが神様の愛以外のものへの執着を捨て真に幸せに生きられるようお祈りします。
    RAPTさんがますます飛躍した活動ができますようお祈りします。

  • 坂戸拓之
    Posted at 09:28h, 28 3月

    御言葉ありがとうございました。よくこの世のクリスチャンは”キリストを信じさえすれば救われる。それは失われることのないものだ。”と言います。しかし、今日の御言葉にもあるように義を積まなければ天国には行けないのですね。この御言葉に出会ってからまだ2ヶ月しか経っていないので、世の中のクリスチャンの教えに簡単に流されてしまいそうになりますが、私のずっと前を走る皆さんに必死に追いついて行きたいです。RAPTさんや皆さんがサタンの攻撃から守られますように。御言葉を信じる人が一人も脱落せずに皆で千年王国を作れますように。皆さんが豊かに聖霊を受け、喜び爆発の人生を生きられますように。

  • 未来
    Posted at 17:07h, 28 3月

    初めてコメント致します。
    御言葉を聞き、私は罪の根を断ち切れていないなと思いました。

    私の場合は夫ですが、夫よりも神様を愛し、神様のことを選ぶことができるのか。また、アブラハムのように神様に夫を捨てなさいと言われた時に捨てることができるのか。

    なので、神様にこうお伝えしました。
    “私はまだ夫に依存しています。
    夫を捨てられる自信がありません。私は本当に罪深い人間です… どうしたらよいのでしょうか。”
    自分の命を夫のために捨てる覚悟はあっても、夫を捨てることはできないと思ったからです。

    そしていつものように聖書を読んでいたところ、ふとヨブ記1章21節の聖句が頭の中に降りてきました。
    「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな。」
    そうか、これだ!と思いました。
    つまり、私の夫も、着る服や食べ物もみんな神様が私に与えてくださったものなのだ、と。
    神様が与えてくださったものを、神様が取られることはなんら不思議ではないし、もともと神様のものであったのだから、神様のもとに帰るだけなのだと。

    だから神様が夫を取られても私は納得できるし当然のことだ、と一気に霧が晴れて悟りのようなものが得られました。
    きっと神様が私を憐れんでくださったのだと思います。
    本当に憐れみ深い神様だと心が熱くなり、長々となりましたがこの喜びをお伝えしたいと思い、いつもは読んでいるだけですが初めてコメントさせていただきました。

    ラプトさんをはじめ義人の皆様に祝福がありますように。この世の悪人どもの攻撃に負けませんように。艱難にあっても耐え忍べますように。拙い祈りですがどうか神様に届きますように。

  • YUM(ヤム)
    Posted at 20:38h, 28 3月

    ~スマホからのコメントが反映されなかったので、PCから再度送らせていただきました。~

    最近は、いつも思っていた事が御言葉として与えらる形になっているように思います。
    有難うございます。
    御言葉の方が先にrapt さんを通して出していただいている訳ですから、そのテーマに向き合わされ、そして、その後に悟らされるというような感じです。
    悟りも未だ浅く、朝方のお祈りを極めたと感じる事もまだなく(申し訳なく、情けない事ですが)、眠さとの闘いになかなか勝てないなど、自分はもうダメかと思ってしまう事もよくあったりでいましたが、試行錯誤をしながらも、絶対に諦めずにいなくては・・・と前に進めるように致します。
    神様がこの時代のこの時に、完全な御言葉を与えて下さっている時に、これ以上大切な事など有りはしない。
    分かっているはずなのに、余計な事が多い我が身。
    もっと変えて行くためにも祈らないといけないです。
    また、「雑草も茂る」というお話は、新しい発見であり、悟りです。
    思い当たります。大いに。
    長く様々なサタン側の策略の中を生きても来て、今は残り少なくなって来た人生。
    自分の奥にあるクリアーになっていないものを清めて行く作業は、本当にたくさんあると思いました。あらためて。
    サタンの手口、実態がさらに明らかになり、多くの人々が救いの道へ導かれますように。
    御言葉が、一刻も早く世界中に広まって行きますように。
    さらに次元の高い御言葉がrapt さんから宣布されて行きますように。
    そして、皆様に聖霊が豊かに注がれて行きますようお祈りします。

  • Posted at 04:49h, 01 4月

    今回の御言葉は、かなり自分にとってもリアルタイムな内容でもあり、改めることができたものだと思いました。
    私は今は亡き父に、子供は親の所有物ではない、と教えられ、その言葉が常に頭にありました。
    親は子供に依存し、いずれ支配します。当時は、個人の尊重だと思い、その言葉を理解していましたが、少し違ったようです。
    確かに自分の子供は大事ですが、何事も自らが行わないといけないのだと。
    親はきっかけを与えるまでしか、できないのだと思いました。
    あとは神様に委ねています。
    私にはどうすることもできません。

    でも、きっかけは与えることができました。

    それは、主人に対してもです。

    あとは、本人次第です。

    今回の御言葉、もっと深く悟れるよう、何度も聞いています。
    ありがとうございます。

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