18 6月 RAPT有料記事77(2016年6月18日)涙をもって種を撒き、自分の夢・神様の夢を成すべき時だ。
旧約聖書の詩篇126章に
涙をもって種まく者は、
喜びの声をもって刈り取る。
種を携え、涙を流して出て行く者は、
束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。
という聖句があります。
この世の人々の多くは、将来に対して大きな夢を描き、その夢を実現させるために努力して生きることを苦だと思い、ただその場限りの快楽・享楽だけを求めて生きています。
特に近年は、楽しようと思えばいくらでも楽に暮らせる時代になってきたため、多くの人々が何ら将来の夢を持たず、むしろ夢を持っている人たちをバカにしながら、安逸主義に陥って毎日をただ惰性だけで暮らしています。
しかし、毎日そのような暮らしをしていたところで、十年後、二十年後に自分の人生に何か良いことが訪れるでしょうか。
何もしないのに、自分がある日突然、スーパーマン、スーパーガールになって、この世で苦しむ人々を救い出すことができたりするでしょうか。
しかし、そのような安逸主義の人ですら、神社仏閣に行って頭を下げ、今年こそ何かいいことがありますように、と必死で哀願しているのですから、全くもって愚の骨頂です。
本当に自分の人生をより良いものにしたいのなら、自分の人生をより幸福にしたいのなら、実際にそれだけの苦労と努力をしなければなりません。
そうでなければ、明日になっていきなり天から幸運が降って湧いてくるようなことはありません。
とはいえ、将来に何か大きな夢を持ち、その夢を実現するために労苦し努力することは、途方もなく大変なことです。
ときに艱難・苦難の嵐が吹きすさび、その夢の実現を邪魔するようなことが起きたりもしますので、どんなに夢の実現のために努力していても、途中で挫折し、諦めて、その努力を中断する人も出てきたりします。
しかし、嵐が来たからといって、農夫が種を撒くのを怠れば、その年、その農夫は何も収穫することができず、ひもじい思いをしなければなりませんし、明日の食べるもの着るものを心配しながら生きていかなければなりません。
それと同じく、この人生全体を見たときにも、嵐が吹くからといって、あるいは嵐が吹くことを恐れて、種を撒くことを怠るならば、その人は一生ひもじい思いをし、明日の我が身を心配しながら生きていかなければなりません。
そんなことにならないためにも、我々は今から涙をもって、人生の種を撒いておかなければならないのです。
そして、そのように行う人は、いつか必ず自分の夢を成し遂げ、さらには神様の夢まで成し遂げて、一生の間、喜びと希望に溢れた人生を生きることができることでしょう。
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NASU
Posted at 18:43h, 19 6月RAPTさん、こんにちは。
この世は、生きている限り休みなく種をまくように
なっているのですね。やっとひと段落して喜びに
浸っているとまた次の試練が、の繰り返しです。
辛くて涙して感情的になってしまいますが、
今回の言葉は冷静な自分を直ぐに取り戻し
先への希望を抱かせていただけます。
RAPT理論の完成を成し得たRAPTさんだからこそ
伝わるのでしょうね。
澄んだ完成の領域に達っしたものがあらゆることろ
あらゆる人のためにどんどん広がることでしょうね。
これからも諦めずやって行こうと思いました。
本当にありがとうございます。
RAPTさんと読者の皆様が悪に負けず歩み続けら
れる様、お祈りいたしております。