17 1月 陰謀論者たちが「公正中立」を貫いてこそ、真の覚醒者が増えていきます。学問の世界に「情」を差し挟むことは絶対に禁物です。
ちょっとまたここで箸休めします。
私のブログの内容がどんどん他の陰謀論ブログの内容とかなり激しく乖離しています。
天皇の陰謀を説いた時点でもう既に私のブログは他の陰謀論ブログと一線を画しはじめたわけですが、その後、裏社会が「天皇派」と「教皇派」の二つの勢力に分かれて争っているということ、さらに彼らが霊的な戦いをしているということを書くようになってからは、その乖離がますます激しくなっています。
これまでの陰謀論はすべてアメリカを悪者とし、そのアメリカに敵対する者を善としてきましたが、実はアメリカと敵対していた小沢一郎やプーチン、BRICSすらも「天皇派」という悪魔だったと分かり、彼らを称賛することが筋違いであるということが分かってきました。
そして、それは確固たる事実なのですが、未だに有名陰謀論者たちは相変わらず小沢一郎やプーチンを持ち上げ、そのため多くの陰謀論マニアたちもそれに乗せられて、小沢一郎やプーチンのファンを自称したりしています。
しかし、陰謀論というのは、言ってみれば一つの学問です。確かに正統的なアカデミズムの世界では「異端」とされていますが、陰謀論こそまさに「真実を追究する」正統的な学問だと私は思っています。
そして、学問の世界において、誰か特定の人に「情」を持つというのは絶対に禁物です。ましてや小沢ファン、プーチンファンを自称するなどもっての他です。
しかし、陰謀論マニアの人の中にはこういった「〜ファン」を自称する人が余りに多く、これがいかに危険なことであるか認識できていない人も実に多い。私はこの事実に憂いを感じています。
もちろん、個々のブロガーたち、情報拡散者たちは、自分のことを学者だと自覚せず、単なるブロガー、単なるネットサーファーとしか自覚していないのかも知れません。だからこそ、小沢ファン、プーチンファンを平気で名乗れるのかも知れません。
しかし、彼ら陰謀論マニアたちがどうして陰謀論の世界に足を踏み入れたのかといえば、やはりマスコミに騙されたくない、この世の真実を知って、拡散したという純粋な気持ちがあったからこそだと思うのです。別に小沢が好きだから、プーチンが好きだから、陰謀論の世界にはまったわけではないはずです。
それなのに、有名陰謀論者たちが「小沢なら大丈夫」「プーチンなら大丈夫」「BRICSなら大丈夫」と言うのを聞いて、その言葉をそのまま信じ込み、小沢やプーチンのファンになっていきます。そして、平気で小沢やプーチンの宣伝をはじめます。
これでは、その辺のB層の主婦たちが「小泉進次郎がイケメンだから好き」というのと大して変わりがありません。
確かにプーチンなんかを見ていると、とても真面目そうで、とても純真そうに見えます。どんなにアメリカから叩かれても、決して声を荒げて怒ることなく、冷静にすべての物事に対処しようとしていますから、とてつもない人格者のように見えます。
しかし、私はつい先日、裏社会のエージェントのほとんどが多重人格者として育てられている可能性があると記事に書きました。そして、この記事はある一定の信憑性があるものです。
○悪魔崇拝者たちの多くが多重人格者であり、幼少期から虐待を受けてきたという現実。
したがって、プーチンもまた(ロシアという巨大大国のトップになっている以上)、多重人格者として育てられている可能性はなきにしもあらずです。ですから、表向きは善人のように見えても、陰でどんな悪いことをやっているか全く分かりません。
しかも、ロシアと創価学会とには何かしらつながりがあることも分かりましたし、この創価学会は裏社会のエージェントの中のエージェントです。
○BRICS諸国に創価学会が深く喰い込んでいるという現実。
○鈴木宗男は創価票で政治家に。習近平も創価大卒の可能性あり。BRICSはどこまでもクロと判明。
この事実を突きつけられても、未だに「プーチンなら大丈夫」「BRICSなら大丈夫』と言うなら、もはや正気の沙汰とは思えません。完全に「真実を追究する」という陰謀論の本来の目的からズレてしまっています。
ちなみに、小沢一郎も創価学会と太いパイプを持っています。
○小沢一郎と創価学会との深いつながり。彼は天皇家の中心的人物に違いありません。
ここで問題になってくるのは、果たして自分の心にどれだけ正直になれるか、ということです。私もこの二つの記事を書くまでは、プーチンを持ち上げ、BRICSを持ち上げていましたから、正直、この二つの記事の内容は受け入れがたいものがありました。
しかし、私がこうして陰謀論ブログを書きはじめたのは、マスコミの言うことに騙されたくないと思ったからであり、この世の真実をできるだけ多くの人たちに知ってもらいたいという思いがあったからです。
それなのに、その思いを足蹴にして、嘘八百をこのブログに書き連ねてしまっては、自分の良心に反することになります。ですから、私は「公正中立」の立場を絶対に崩したくはありません。
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ところが、この世の有名陰謀論者と多くの陰謀論マニアたちが、この「公正中立」という立場を忘れて、小沢ファン、プーチンファンを自称し、彼らを持ち上げるような記事を書きつづけています。
マスコミが「公正中立」でないことを批判しながら、自ら「公正中立」の立場を崩しているわけです。彼らのこの態度は余りに良心が欠落しているとしか言いようがありません。
そんな記事を書くぐらいなら、それこそ芸能ブログでも書いて、AKBやら嵐やらを持ち上げていた方がまだマシです。その方がまだ社会に与える害も少なくて済むからです。
もちろん、有名陰謀論者たちは確信犯的に人々をミスリードしていますので、彼らに向かって何を言ってもムダでしょう。ですから、問題なのは有名陰謀論者ではありません。我々のようなごく一般の陰謀論マニアなのです。
有名陰謀論者の言っていることをが間違いだと分かれば、あるいは間違っている可能性が高いと分かれば、私たちはすぐさま眉に唾を付けて、新たな真実を追求するべきですし、そうするのが筋というものです。
しかし、いざそうしようとすると、その人の中にある「頑固さ」という魔物が邪魔しようとするのでしょう。自分の考えを変えたくない、自分の間違いを認めたくないという魔物がその人を妨害しはじめるのです。
それに、新しい事実を追求するのは骨が折れます。ただ有名陰謀論者の言うことを黙って鵜吞みにしている方がずっと楽です。そのため、「怠惰」という魔物がその人を邪魔します。
また、プーチンファン、小沢ファンであった人が、そのファンをやめるというのも実に心が痛みます。そこで「情」という魔物がその人を邪魔します。
しかし、この世の悪魔たちはこういった「頑固さ」「怠惰」「情」というものをうまく利用して人々を惑わしてきました。彼らは「真実」から人々の目を背けさせるために、常にこの「頑固さ」「怠惰」「情」を使ってマインドコントロールしてきたのです。
したがって、あなたの心に存在している「頑固さ」「怠惰」「情」は、彼らが意図的にあなたの内に植え付けたものかも知れないのです。
B層の人たちが政治家を選ぶ際にも、そのほとんどが「情」で選びます。あの人が握手してくれたから。あの人が地元のために頑張ってくれたから。あの人がテレビにたくさん出て、活躍しているから。あの人がとても優しそうだから。
しかし、それが嫌になって陰謀論にかじり付いたのに、またしても政治家を「情」で判断するならば、悪魔の罠にふたたびハマってしまったも同然です。
切るべき『情』はバッサリと情け容赦なく切る。あなたが「陰謀論」を追求したいなら、そのような潔さが絶対的に必要です。しかし、なぜかこの世の中にはこんな簡単なことができない陰謀論マニアがとても多い。
あるいは、こういうこともあり得るでしょう。
あなたがブログを書いていて、情報提供者があなたの前に現れる。その人は親切心からあなたに色々と情報を提供してくれている。だから、その人の情報をむげに切るのは可哀想と思い、その情報を自分のブログに書く……。
これもまた大きな間違いです。学問の世界に『情』を差し挟むのは絶対に禁物だからです。
このように自分の中にある「頑固さ」「怠惰」「情」という敵と、我々は常に戦って打ち勝たなければいけません。そうしなければ、いつまで経っても真実に辿り着くことができないからです。「頑固さ」「怠惰」「情」は、まさに真実の対極にあるものです。
かといって、自分のことを敵視しろと言うわけではありません。自分のことは自分が最も大切にしなければいけません。しかし、今の時代、自分のことを余りに可愛がりすぎて、自己中心的になっている人が多いのも確かな事実です。
そのため、読者のことを第一優先に考えず、あくまで自分中心に、自分の書きたいことだけを書くブロガーが多いのでしょう。
例えその人が裏社会のエージェントでなかったとしても、誤った情報を流している以上、その人は裏社会のエージェントのやっていることと変わりがありません。したがって、その人のことを裏社会のエージェントと呼んでも何ら差し支えないのではないでしょうか。
こんなことを言うと、「自分がブログで何を書こうが自由ではないか。この国では言論の自由が保障されているのだから」という人が出てくるかも知れません。
そこまで言うなら、どうぞご勝手に。その代わり、そういう人は後で必ずしっぺ返しを食らいます。自分が語った言葉が後で自分を喰い尽くすでしょう。
この先、十年後、二十年後にその人がどうなっているか見ていてください。きっとその人は悠長にブログなんか書いていられなくなっているはずです。自分の書くことに辻褄が合わなくなって、いずれ書くネタが尽きてしまうからです。もちろん、読者だって愛想を尽かして離れていくでしょう。
しかし、それまでどんなに間違ったことを書いていたとしても、素直にその間違いを認めて、正しいことを書くようになるならば、その人には必ず祝福があります。神様がその人を必ず祝福してくださるはずです。
はっきりと言えることは、もっともっと沢山の新しい事実が分かる、という祝福が先ずは与えられるでしょう。これは自分の経験から見ても間違いありません。そうすると、書くネタも自然と後からどんどんついてくるし、読者も必ずついてきてくれます。
もちろん、これまで誰も語ったことのない真実を語るのは大いに勇気がいることです。そういうことをすると、必ず多くの反発に遭うからです。実際、私のブログについて陰でコソコソと悪く言っている人がかなり大勢いるようです。有名な某サイトでも、工作員らしき者たちが私のことをかなり誹謗中傷しているようです。
直接、私のブログに来て文句を言っても、私が全くへたこれないので、やむなく陰で私の悪口を拡散しているわけでしょう。しかし、全てはムダな足搔きです。正しい情報の前では、どんな悪口も中傷も全く意味をなさないからです。
むしろ、その彼らの書いた悪口をきっかけに私の記事を読む人が増え、しかも、私の記事を読んだ人の多くが、私の記事の正しさに気付くようになるはずです。ですから、彼らはむしろ墓穴を掘っているに過ぎません。
今の時代はもうこれまでとは違います。今までは悪人どもがこの世で大手を振って生きていられような時代でしたが、これからは彼らの都合のいいように物事が進むことはありません。
この世のほとんど全ての人たちが、今の世の中に流れている情報が何かおかしいということに気付いているからです。ですから、これから多くの人たちが真実を求めるようになるはずです。彼らは真実に飢え渇いているのです。
確かにこれまで、陰謀論はなかなかこの世に普及しませんでした。しかし、それはB層の人たちが単に頭が悪かったせいではありません。今までの陰謀論が余りにインチキ臭く、きちんと筋が通らなかったからです。だから、触れてはいけない、見てはいけない、と言われると、すぐに多くの人たちが陰謀論から目を背けてしまったのです。
しかし私は、これまでの陰謀論のどこがインチキなのかをある程度まで解明しましたし、これからもどんどん多くのことを解明していくことでしょう。そうすると、陰謀論からインチキ臭さがどんどん消えてなくなり、覚醒者も必ず増えていきます。
今はまだ草の根運動のようなものかも知れませんが、いずれこのブログに書かれてあることが一般常識として世間に広まっていくようになるでしょう。それももう時間の問題だと私は思っています。
現在のところ、私のブログは一日平均3万PV、一月平均100万PVのアクセスがあります。(以下はグーグルアナリティクスのアクセス数を表すグラフです。)
ブログを書き始めてまだ一年も経っておらず、記事の内容もかなり重いものなのに、それでもこれだけの人に読まれているというのは奇跡だと自分では思っています。実にありがたいことです。
しかも、読者の数が増えはじめたのは、天皇の陰謀を暴いた後のことでしたし、今年に入って「霊」のことについて書くようになってからも、じわじわと緩やかにアクセス数が伸びはじめました。やはり真実はそれだけ人を惹きつける力を持っているということです。
ですから、これからも私が嘘を書かず、デタラメやインチキを書かず、真実だけを書きつづければ、必ず読者も増え、覚醒者も増えていくと私は思っていますし、そう信じています。
矛盾は矛盾を生み、やがて袋小路にぶつかりますが、真実は真実を生み、やがて大きく視界が開けていきます。そして、それを嫌がる人は一人もいません。もしいるとしたら、それは悪魔だけです。
ですから、この世で真の覚醒者を増やしていくためにも、我々陰謀論者はつねに「公正中立」という立場を貫かなければなりません。そうすることが、真の覚醒者を増やすことにつながるのです。
いつまでも小沢ファン、プーチンファンを自称していては、覚醒者はむしろ減っていくばかりでしょう。
ARMD
Posted at 21:00h, 17 1月言論の世界ではよく「中立・中庸などありえない」という人たちを見ますので昔から中立が難しいことが判ります。
私の今までの生活の中でも「これはきらいだけどあれは○○だから好き」のように「情」が出てしまっています。しかし大きくなれば裏の汚い部分が見えてきて結局どちらからも離れてしまいます。
最近地元で市議会議員選挙が行われたのですが、あれこそ正に「情」によって票をかき集めるある意味難易度の低い選挙でしょう。
私が10代のころに「噂の真相」という雑誌に出会ったように自らが動かなければきっかけをつかむことができません。特に自分の頭で考える教育をほとんどされていない日本人に「自分の頭で考える」ことが如何に難しいかはオタク方面の流行を見ればわかります。
あとはRKブログのコメント欄なんかは正にそれです。あそこにいる人たちはゆで蛙ですよ。
アモリフェラ
Posted at 21:43h, 17 1月大変耳の痛いお話です。公平中立、分かってはいるのですが、なかなか実行出来ません。昭和天皇や天皇家が悪魔崇拝なんていうと、現実にまず友達は無くすし、家族関係はギクシャクします。そこまでして真実追求するほど陰謀論好きか?と問われると、自分でも自信がなくなる、そして適当な自己中心的なブログ書いて終ってしまう。そんな事の繰り返しです。真実真相の追求って厳しいものですよね。でも、ずっとなあなあでいい加減にやって来たから、原発もあんな深刻な事態に陥っているのですし、すごく大切なことであるのは、とてもよく分かっているのです。......がんばってみます。
モダンガエル
Posted at 22:00h, 17 1月聖書を読むのにも色々な態度があるといわれます。聖書自体が歴史書としての史料価値もあり、文学書の観点からも、道徳規範書としても多角的に読めるものだからです。しかし宗教書としての読み方もそれらとは一線を画して厳然として存在し、歪められた解釈をもってしては、いずれも聖書を用いようともカルト宗教に堕してしまう危険をはらみます。むしろ歪んだ理屈で自分たちの利得のための解釈さえ横行し、ねじ曲げられた内容で布教活動が行われ、世界的に洗脳されてきた歴史も、まさしくこのブログで教わりました。
rapt さんのブログのこれまでの内容も、音楽のジャンルあり、愛媛の自然の清涼な空気のお披露目あり、歴史的発見あり、政局の“不思議”あり、世界経済の裏側あり・・・と見事なまでに壮大なものでした。興味深いだけあって、利害にとらわれるなら各自各立場に都合の良い読み方もきっと成立するのでしょう。でもここで、覚醒者たらんと欲するものは公正であれ、とくさびを差されました。
聖書に「目を覚まして祈りなさい」とあるのは、霊を覚醒させて祈りなさいということのようです。では、なにゆえに覚醒者であるべきなのか。やはり祖国日本の文化・誇り・一人ひとりの一回きりの人生の幸せが賭かっているからでしょう。あざといシステムや嘘の誘惑に魂を持って行かれないように、自己防衛は勿論、それと同時に、共に、悪からの救い出しを祈るほかありません。使徒言行録 3章 26節;
「それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」
1月17日。人類にとっても、丸ごと哀しい一日でした。
LaLa
Posted at 22:20h, 17 1月アクセス数を見てとても嬉しくなりました。
悪が滅びるようにお祈りをしている方がきっとたくさんいらっしゃいますね。
ラプトさんの純粋性が私はもちろん皆さんを惹き付け、動物的な感覚で本物だと確信していればこそのアクセス数だと思います。
たくさんの方がもう好き勝手はさせないぞとの想いにかられていると思います。
トラ次郎
Posted at 13:06h, 18 1月私はraptさんのブログを読み始めたのは去年の11月頃、それは偶然の出会いでした。
今までも私は、政治経済、自然科学、オカルト類のブログや、RKや宇野正美のユューチューブなどを見てきたりしていました。
しかし、いずれも部分的で偏狭な情報ばかりで、歴史に基づいた核心に迫った検証がされておらず、底の浅さを感じていました。
それは、霊的視点と悪魔崇拝者の観点が抜け落ちていたからだと思います。
しかし、raptさんの<天皇家という闇。日本赤十字社という闇。田布施システムという闇。悪魔崇拝者という闇>を読んだ瞬間、日本のタブーに対しても決然と暴いている文面を見て、これは本物であると確信したのです。
本物は片鱗だけでも本性をつかむことができます。
それは核心を突いているからです。
そのことは、デイリー3万件のアクセスで、実証されてますね。
これからも更に、どんどん訪問者が増える事に期待しております。
なんこう
Posted at 23:25h, 19 1月恥ずかしいことに、自分もなんとなく「小沢一郎=正義」派でした。
しかしながらそれはこの国の「政治」という茶番をクローズアップした場合の狭い土俵だけでの考え方にすぎないことに、最近気づきました。
勿論raptさんのこのブログで勉強させていただいたからなのですが^^;
ともすれば狭い視点で見がちな世の中を、もっと広い視点でタブーを恐れず良くも悪くも色眼鏡を外して疑って見る視点、大事だなと最近特に思います。